1995.1.17

もうすぐ25年になる あの真冬の朝の出来事。

俺が人殺しになった朝。

幼稚園以来の 幼馴染みが 大阪から 親の仕事の都合で中学校入学のタイミングで神戸に引っ越した。

1995年1月16日 俺は学校が終わってから 神戸に住む幼馴染みの家に 泊まりに行った。1月17日が創立記念日で そいつと遊ぶ予定で 親に許可を取って 泊まりに行ってた。

そいつの家は 被害の大きかった東灘区。

おばちゃんの作った料理を一杯 食べて おっちゃんが会社帰りに買って来てくれたケーキを食べ 部屋に戻って ずっと話してた。話し疲れて 寝て あの揺れだった。
俺は 突き上げるような揺れに何も出来ないまま 瞬間 気を失い 幼馴染みの振り絞るような声で意識を戻した。

俺は 窓の側の そいつのベッドで寝てたから 窓から 放り出された状態になったのか外にいた。
そいつは 家の中で挟まれて 俺に手を伸ばし「助けてくれ」と叫んでいた。
辺りは火が出始め 人は 逃げて行く。
誰も 助けてくれない。
1階で寝ていた おっちゃんと おばちゃん・・・2階が1階になっていた。
声もしない。
俺は助けようとした。どれだけの力を入れても ビクリともしない そいつの家。

急に そいつが 小さい声になった。
俺に「逃げろ」と言う。火が足元に来てる。死ぬのは俺1人で良い。お前は逃げて 俺の分まで生きろ。
そう言った。

俺は「嫌だ!」一緒にいると言ってたら 通りがかった大人に 無理矢理 引っ張って行かれた。

そこから 自分の家に辿り着き 玄関を開け 母が泣き叫んで父を呼ぶまでの記憶が無い。

泥のように眠り続け 気が付いて そいつの家に行こうとしたが 子供の力では行けない。父に頼んだが 途中までしか行けなかった。

祈るように時間だけが過ぎ 俺の 心が悲鳴を上げようとした時 友人の父の警察官が調べてくれ そいつの家族が死んだ事を知った。

俺が もっと頑張ってたら そいつは死なないで 今 俺と同じように笑って生きてたはず。

ずっと ずっと 俺は自分を責めて 贖罪を背負って生きて来た。
人殺しの俺は幸せになってはいけない。

1月17日 毎年 俺が どこにいても 喪に服す1日。