1週間後

2005・4・25

JR福知山線脱線事故のあった日

俺は 朝早くからシンガポール出張のために 関空にいた。
スーツケースを預け 手荷物を持って カフェテリアで朝飯してた時にニュース速報で 一報を耳にした。
そんなに大事になるとは露知らず 機上の人となった。
現地支社の借りたマンションから 上司の携帯に到着した事の連絡を入れた。
その脱線事故の被害者の1人に 直近に辞めた先輩がいた事を知らされる。

宝塚から 丹波笹山に引っ越して 7ケ月での 事故。俺は 携帯を持ったまま立ち尽くす。

情報が入って来ない苛立ち。それでも その話は間違いでは なかった。

1年4ケ月の出張の後 俺は 事故現場のマンションを電車で通った。
心の中で手を合わせる。黙祷を捧げる。

今年はコロナウイルスの影響で追悼式は催されないと聞いた。
さっき 先輩の家には 電話した。

花を送ったから 仏前に手向けて下さいと。

遅かれ早かれ 誰もが逝くけど 望まない死は いかばかりか。

その事故の翌年 会社の記念パーティーを催すのにホテルのバンケットルームを借りきって するといった時 会社にJRから打診があったらしい。

追悼式を行うのに 大きい会場が確保 出来ないから そのバンケットルームの権利を譲って欲しいと。

それに対して 『その脱線事故で 我が社の人間が逝きました』と言ったら黙って引き下がったらしい。

早いもので 15年・・・俺は少しでも成長 出来たのか?